群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2018年 08月 04日
ネット上では未開の地なんていわれている群馬県ですが、新幹線も通っているし、高速道路も充実していて、意外と栄えている県です。
ただし、県民の足としての鉄道網は貧弱なので、自動車の移動が基本です。群馬県は周囲を山に囲まれた盆地状の地形なので、夏はメチャクチャ暑く、冬は『からっ風』が吹きすさぶハードな気候なので、ちょっとした移動でも自動車を使いがち。というわけで、群馬県に住むなら自動車免許と車は必須!
そんな群馬ですが・・・
他国者
このブログを書き始めて 6年 群馬のことを何も知らなかった他国者です。
群馬のことを知れば知るほど 群馬って素敵なところですね。
群馬男の追憶
真夏に想う
あの頃の群馬は夏の日差しは焼き付くように暑かった。
蝉(当時センミと言った)はアブラゼミがびーびーびー。にいにい蝉はにーにーにー、結構うるさかった。
しかし昼飯を食ってから3時ころまでは子供は夏休みで昼寝の時間、大人たちはこんな時間に畑で草取りなんかしたら日射病になっちゃう、というので家じゅうで思い思いに涼しい所を見つけてお昼寝の時間だった。
なんと不思議なことにその時間帯は蝉たちも一緒になってお昼寝タイムだったか、裏の桐林も静かになった。
そして昼間は焼けつくような暑さでも、晩御飯が終わるころにはすぅーっと気温が下がって涼しくなる。
あの頃網戸なんかなかったから、戸を開けっぱなしで蚊帳の中にいれば、すやすや・ぐーぐーだった。
おれたちゃぁ山の子
子どもらは、ランニングシャッツに猿股(トランクス)で肌を存分に出して山に鬼虫(カブトムシをこう呼んだ)を取りに穴の開いた運動靴か、履き古した下駄をはいて行ったものだった。
甘い汁の出る木にはおに虫はうじゃうじゃいた、でも子供らは一匹しかとらなかった。だって、虫篭なんかないし手にもって帰った来ることになるからそんなにいくつも持てない。変な持ち方をすれば、あののこぎりのような角に思いっきり挟まれる。
ある時半ズボンをはいてるやつが、一匹ポケットに忍ばせて帰る途中、ポケットの中から、大事なところを挟まれて、涙流していたっけ。
その虫を何に使うかというと、虫相撲だ。平らな板の上に二匹のクワガタを載せて戦わせる。もちろん土俵も書いてある。その土俵から出れば負けだ。
だから山でうじゃうじゃいるなかででかそうな強そうなのを選んで捕まえてくる。
夕方涼風が吹くころになると聞こえてくるのが
カナカナカナ、日暮ゼミだ、あの声は子供心にも何となく物寂しい感じだった。
「あれとあれ」とは、もう解ったんべぇ。
夏は、空の隅っこの方で生まれた、小っちぇ雲が、どんどん大きくなり、ついには空全体に覆っかぶさって真っ暗んなるんさぁ、そのころにゃぁ、はぁ遠くの方でピカピカゴロゴロはじまってるんさぁ。「さぁくるぞぉ」っと思った瞬間、いきなり強い閃光、そして大粒の雨、光り続け、鳴り続け、降り続け、夏は毎日のようにこれがある。そう、雷雨(夕立)です。夕立っつったって、お昼頃から始まることだってある。
ある時は樹齢100年にも達する杉の大木を先端から縦三つ割りにする威力。あんときは俺がいた母屋から10mくれぇしか離れていねぇと子にあったすぎの木に落ちて、初めにドンと地響きと音、それからすげぇ光が走った。
参考画像 落雷
冬は、ご存知「空っ風」です。
冬の(からっかぜ)のことをその地域の北西側にある高い山から吹き下ろしてくるんで、その土地によって、赤城おろしとか、浅間おろしといいます。山から吹き下ろしてくる乾いた冷たい強風です。
平らな道でも向かいッ風では自転車は動きません。子供はうっかりすると飛ばされます。
参考イラスト・空っ風
こんなことがあった。小学校低学年のころ、あんちゃんが山へ「やめぇもをほりぃいぐんだ」(やまいもをほりにいくんだ)っつうんで、「俺もいぐ」っつってついて行った。
200mばっかあるいて、一段高い吹きっさらしの県道ぃ出たとたん、ぐぉーって吹いてきた。
あんちゃんは平気で歩いて行ったけど、俺は息ができねぇ。
思いっきりでっけぇ声ぇ出して「うわぁぁ、だめだぁ、おらぁ息が出来ねぇやぁ、死んじゃうぅ」
あんちゃんは戻ってきて「バカだなぁ風が来る方を向くからいけねぇんだ、こっちぃ向いてみろ」と俺の顔を風下に向けてくれた。いくらか楽になった。
おめぇ駄目だ、一人でけぇれ、風邪の方を向くんじゃねぇドぉ」一人泣きながらケぇって来たことがあった。
うっかりすると家だってつぶされるくれぇ強い、だから群馬の家の西北側には樫の木の5~6mもある生垣(かしぐね)がある。
参考画像・樫ぐね これで強風から家を守った
それがなけりゃぁいいとこだけど、そんな中で生活してきた人達は自然と心が優しくなる、こんなエピソードを聞いた。
それを話してくれたおばさんの旦那さんは行商で、福島、あたりから北関東を回っていたそうだ。
どこの県とは言わないが、峠を越えて群馬県に入った。
お昼になったんで、その日も商人宿で作ってもらった握り飯弁当を食うべぇと思ってその家の主に「庭先でお昼を食べさせてもらってもいいですか?」というと。
「このさびいんに(寒いのに)外で食わねぇったって、縁側はあったけぇからそこで食いな」といっておかみさんは、熱いお茶とたくあんと、今朝の残りだけどと言って暖かい味噌汁を出してくれた。これまではこんなことはなかった、これが県民性というもんだろうと、涙を流して話していたそうだ
これがこの厳しい自然の中で育まれた県民性だ。
この群馬県の良さがわかんねぇ人は、ほっとけほっとけ。
・
群馬はいいとこです、あれとあれがなければ・・・
(990)群馬の自然
ネット上では未開の地なんていわれている群馬県ですが、新幹線も通っているし、高速道路も充実していて、意外と栄えている県です。
ただし、県民の足としての鉄道網は貧弱なので、自動車の移動が基本です。群馬県は周囲を山に囲まれた盆地状の地形なので、夏はメチャクチャ暑く、冬は『からっ風』が吹きすさぶハードな気候なので、ちょっとした移動でも自動車を使いがち。というわけで、群馬県に住むなら自動車免許と車は必須!
そんな群馬ですが・・・
他国者
このブログを書き始めて 6年 群馬のことを何も知らなかった他国者です。
群馬のことを知れば知るほど 群馬って素敵なところですね。
群馬男の追憶
真夏に想う
あの頃の群馬は夏の日差しは焼き付くように暑かった。
蝉(当時センミと言った)はアブラゼミがびーびーびー。にいにい蝉はにーにーにー、結構うるさかった。
しかし昼飯を食ってから3時ころまでは子供は夏休みで昼寝の時間、大人たちはこんな時間に畑で草取りなんかしたら日射病になっちゃう、というので家じゅうで思い思いに涼しい所を見つけてお昼寝の時間だった。
なんと不思議なことにその時間帯は蝉たちも一緒になってお昼寝タイムだったか、裏の桐林も静かになった。
そして昼間は焼けつくような暑さでも、晩御飯が終わるころにはすぅーっと気温が下がって涼しくなる。
あの頃網戸なんかなかったから、戸を開けっぱなしで蚊帳の中にいれば、すやすや・ぐーぐーだった。
おれたちゃぁ山の子
子どもらは、ランニングシャッツに猿股(トランクス)で肌を存分に出して山に鬼虫(カブトムシをこう呼んだ)を取りに穴の開いた運動靴か、履き古した下駄をはいて行ったものだった。
甘い汁の出る木にはおに虫はうじゃうじゃいた、でも子供らは一匹しかとらなかった。だって、虫篭なんかないし手にもって帰った来ることになるからそんなにいくつも持てない。変な持ち方をすれば、あののこぎりのような角に思いっきり挟まれる。
ある時半ズボンをはいてるやつが、一匹ポケットに忍ばせて帰る途中、ポケットの中から、大事なところを挟まれて、涙流していたっけ。
その虫を何に使うかというと、虫相撲だ。平らな板の上に二匹のクワガタを載せて戦わせる。もちろん土俵も書いてある。その土俵から出れば負けだ。
だから山でうじゃうじゃいるなかででかそうな強そうなのを選んで捕まえてくる。
夕方涼風が吹くころになると聞こえてくるのが
カナカナカナ、日暮ゼミだ、あの声は子供心にも何となく物寂しい感じだった。
「あれとあれ」とは、もう解ったんべぇ。
夏は、空の隅っこの方で生まれた、小っちぇ雲が、どんどん大きくなり、ついには空全体に覆っかぶさって真っ暗んなるんさぁ、そのころにゃぁ、はぁ遠くの方でピカピカゴロゴロはじまってるんさぁ。「さぁくるぞぉ」っと思った瞬間、いきなり強い閃光、そして大粒の雨、光り続け、鳴り続け、降り続け、夏は毎日のようにこれがある。そう、雷雨(夕立)です。夕立っつったって、お昼頃から始まることだってある。
ある時は樹齢100年にも達する杉の大木を先端から縦三つ割りにする威力。あんときは俺がいた母屋から10mくれぇしか離れていねぇと子にあったすぎの木に落ちて、初めにドンと地響きと音、それからすげぇ光が走った。
参考画像 落雷
冬は、ご存知「空っ風」です。
冬の(からっかぜ)のことをその地域の北西側にある高い山から吹き下ろしてくるんで、その土地によって、赤城おろしとか、浅間おろしといいます。山から吹き下ろしてくる乾いた冷たい強風です。
平らな道でも向かいッ風では自転車は動きません。子供はうっかりすると飛ばされます。
参考イラスト・空っ風
こんなことがあった。小学校低学年のころ、あんちゃんが山へ「やめぇもをほりぃいぐんだ」(やまいもをほりにいくんだ)っつうんで、「俺もいぐ」っつってついて行った。
200mばっかあるいて、一段高い吹きっさらしの県道ぃ出たとたん、ぐぉーって吹いてきた。
あんちゃんは平気で歩いて行ったけど、俺は息ができねぇ。
思いっきりでっけぇ声ぇ出して「うわぁぁ、だめだぁ、おらぁ息が出来ねぇやぁ、死んじゃうぅ」
あんちゃんは戻ってきて「バカだなぁ風が来る方を向くからいけねぇんだ、こっちぃ向いてみろ」と俺の顔を風下に向けてくれた。いくらか楽になった。
おめぇ駄目だ、一人でけぇれ、風邪の方を向くんじゃねぇドぉ」一人泣きながらケぇって来たことがあった。
うっかりすると家だってつぶされるくれぇ強い、だから群馬の家の西北側には樫の木の5~6mもある生垣(かしぐね)がある。
参考画像・樫ぐね これで強風から家を守った
それがなけりゃぁいいとこだけど、そんな中で生活してきた人達は自然と心が優しくなる、こんなエピソードを聞いた。
それを話してくれたおばさんの旦那さんは行商で、福島、あたりから北関東を回っていたそうだ。
どこの県とは言わないが、峠を越えて群馬県に入った。
お昼になったんで、その日も商人宿で作ってもらった握り飯弁当を食うべぇと思ってその家の主に「庭先でお昼を食べさせてもらってもいいですか?」というと。
「このさびいんに(寒いのに)外で食わねぇったって、縁側はあったけぇからそこで食いな」といっておかみさんは、熱いお茶とたくあんと、今朝の残りだけどと言って暖かい味噌汁を出してくれた。これまではこんなことはなかった、これが県民性というもんだろうと、涙を流して話していたそうだ
これがこの厳しい自然の中で育まれた県民性だ。
この群馬県の良さがわかんねぇ人は、ほっとけほっとけ。
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by gunmaotoko
| 2018-08-04 20:20
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