群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2017年 04月 25日
上毛かるた「世のちり洗う四万温泉」 起源の文書発見
群馬県中之条町の四万温泉協会(関良則会長)が、上毛かるたの読み札にある「世のちり洗う四万温泉」の起源とされる記述を、江戸時代に発行された群馬県の総合地理書で見つけた。
日本漢詩研究者の石島勇さんや県立女子大の浜口富士雄学長ら専門家に調査を依頼したところ、「上毛かるたの起源となった可能性がある」とのお墨付きを得た。協会はこの内容を周知するポスターとチラシを作成し、24日から地元住民と組合員に配布する。
◎「上野国志」の漢文 訳した専門家が回答
記述が見つかったのは、1774(安永3)年に完成した本県初の総合地理書「上野国志」。
同協会の森博昭事務局長と中之条町歴史と民俗の資料館「ミュゼ」の山口通喜館長らが、地理書の「四万温泉記」の項目に「亦可以●塵膓而療俗肺矣」(またじんちょうをあらい もってかとし しこうしてぞくはいをりょうす)との漢文を見つけた。
石島さんや漢文を専門とする浜口学長に訳文を依頼すると、「世の塵ちりを洗い流し 世俗な心を癒やしてくれる」という意味になり、上毛かるたに読まれる内容と同じで「読み札の基になったと考えられる」との回答を得た。
同協会は、四万温泉が江戸時代から多くの人を癒やしてきた事実を知ってもらおうと、この内容を知らせるポスター50枚とチラシ500部を作成した。
四万川沿いに温泉街が広がり
温泉街はそれぞれ、5つの地区に分かれています。
日向見(ひなたみ)、ゆずり葉、新湯、山口、温泉口の5地区で、
日向見地区が、四万温泉の発祥の地です。
別称で、日向見温泉と呼ばれる場合もあります。
登録文化財にも指定されている
旅館積善館(新湯地区)の浴場、元禄の湯が特に有名です。
古くから伊香保温泉と草津温泉と共に
上毛三名湯の1つとして知られてきました。
四万温泉の開湯には諸説あり
一説には永延年間(987~989)に源頼光の家臣・碓井日向守貞光
(一説には周辺の地頭だった塩谷日向守定光)がこの地を訪れた際、
夢枕に山神の化身である童子が現れ、
四万の病に効く霊泉の場所を教えたと言われています。
又、一説には延暦年間(782~806)、
坂上田村麻呂が東夷東征の際、
この地を訪れた時源泉を発見し
湯宿を設けたのが始まりとも言われています。
他国者
歴史的裏付けです。
大発見!
四万温泉中のでも大正ロマンの雰囲気の積善館
積善館は、あの『千と千尋の神隠し』のモデルになった旅館の一つとして有名で元禄4年頃(1691年!)に建てられた玄関が残っているという老舗旅館。
現存する日本最古の湯宿建築として群馬県の重要文化財にもなっている。
群馬男と四万温泉
このブログにも書いたかも知んねぇけど何年かめぇに四万温泉にいったんさぁ。
それがなんとひでぇ・・・・あとはある旅館の誹謗になるといけねぇから書かねぇけど、いい印象は何もねぇ。ありゃぁ俺の旅館の選び方が悪かったんだと思って反省してるけど。
こんな立派な温泉地でよくあの旅館が・・・・黙・・・。
大体、四万温泉を選んだ理由が悪かったんだんべぇと思って反省してるんだけど、
ほれ、おらぁ滝ぃ見るんが好きだんべぇ、だから地図ぅ見て、その滝に一番ちけぇとこの宿にしたんさぁ、それがいけなかったんさぁ。行って見たらもっとちけぇとこにもいい宿はあったっけ。
できりゃぁ今一回四万温泉ィ行って、ちゃんとした旅館にとまって、四万温泉のよさぁ味わいてぇと思うんさぁ。
話は変わるけど
あすこの温泉街の近くの国道にメロディーラインがあるん知ってるかい。
道端にこんな看板がでてるんさぁ。
うたも入ってる動画がめっかたから見てくんない。
俺があそこを通った時、あの歌ぁ知らなかったんで、「なんだぁ、つまんねぇメロディーだなぁ」なんて思いながら通ったんさぁ。しらねぇっつうこたぁ損だぃなぁ
そこで俺が作った格言
「知識は人生を豊かにする」
あんときこの歌ぁ知ってりゃぁ一緒に歌ったんべぇと思う。
上毛かるたの「よ」の起源
(763)・素晴らしき四万温泉・
上毛かるた「世のちり洗う四万温泉」 起源の文書発見
群馬県中之条町の四万温泉協会(関良則会長)が、上毛かるたの読み札にある「世のちり洗う四万温泉」の起源とされる記述を、江戸時代に発行された群馬県の総合地理書で見つけた。
日本漢詩研究者の石島勇さんや県立女子大の浜口富士雄学長ら専門家に調査を依頼したところ、「上毛かるたの起源となった可能性がある」とのお墨付きを得た。協会はこの内容を周知するポスターとチラシを作成し、24日から地元住民と組合員に配布する。
◎「上野国志」の漢文 訳した専門家が回答
記述が見つかったのは、1774(安永3)年に完成した本県初の総合地理書「上野国志」。
同協会の森博昭事務局長と中之条町歴史と民俗の資料館「ミュゼ」の山口通喜館長らが、地理書の「四万温泉記」の項目に「亦可以●塵膓而療俗肺矣」(またじんちょうをあらい もってかとし しこうしてぞくはいをりょうす)との漢文を見つけた。
石島さんや漢文を専門とする浜口学長に訳文を依頼すると、「世の塵ちりを洗い流し 世俗な心を癒やしてくれる」という意味になり、上毛かるたに読まれる内容と同じで「読み札の基になったと考えられる」との回答を得た。
同協会は、四万温泉が江戸時代から多くの人を癒やしてきた事実を知ってもらおうと、この内容を知らせるポスター50枚とチラシ500部を作成した。
四万川沿いに温泉街が広がり
温泉街はそれぞれ、5つの地区に分かれています。
日向見(ひなたみ)、ゆずり葉、新湯、山口、温泉口の5地区で、
日向見地区が、四万温泉の発祥の地です。
別称で、日向見温泉と呼ばれる場合もあります。
登録文化財にも指定されている
旅館積善館(新湯地区)の浴場、元禄の湯が特に有名です。
古くから伊香保温泉と草津温泉と共に
上毛三名湯の1つとして知られてきました。
四万温泉の開湯には諸説あり
一説には永延年間(987~989)に源頼光の家臣・碓井日向守貞光
(一説には周辺の地頭だった塩谷日向守定光)がこの地を訪れた際、
夢枕に山神の化身である童子が現れ、
四万の病に効く霊泉の場所を教えたと言われています。
又、一説には延暦年間(782~806)、
坂上田村麻呂が東夷東征の際、
この地を訪れた時源泉を発見し
湯宿を設けたのが始まりとも言われています。
他国者
歴史的裏付けです。
大発見!
四万温泉中のでも大正ロマンの雰囲気の積善館
積善館は、あの『千と千尋の神隠し』のモデルになった旅館の一つとして有名で元禄4年頃(1691年!)に建てられた玄関が残っているという老舗旅館。
現存する日本最古の湯宿建築として群馬県の重要文化財にもなっている。
群馬男と四万温泉
このブログにも書いたかも知んねぇけど何年かめぇに四万温泉にいったんさぁ。
それがなんとひでぇ・・・・あとはある旅館の誹謗になるといけねぇから書かねぇけど、いい印象は何もねぇ。ありゃぁ俺の旅館の選び方が悪かったんだと思って反省してるけど。
こんな立派な温泉地でよくあの旅館が・・・・黙・・・。
大体、四万温泉を選んだ理由が悪かったんだんべぇと思って反省してるんだけど、
ほれ、おらぁ滝ぃ見るんが好きだんべぇ、だから地図ぅ見て、その滝に一番ちけぇとこの宿にしたんさぁ、それがいけなかったんさぁ。行って見たらもっとちけぇとこにもいい宿はあったっけ。
できりゃぁ今一回四万温泉ィ行って、ちゃんとした旅館にとまって、四万温泉のよさぁ味わいてぇと思うんさぁ。
話は変わるけど
あすこの温泉街の近くの国道にメロディーラインがあるん知ってるかい。
道端にこんな看板がでてるんさぁ。
うたも入ってる動画がめっかたから見てくんない。
俺があそこを通った時、あの歌ぁ知らなかったんで、「なんだぁ、つまんねぇメロディーだなぁ」なんて思いながら通ったんさぁ。しらねぇっつうこたぁ損だぃなぁ
そこで俺が作った格言
「知識は人生を豊かにする」
あんときこの歌ぁ知ってりゃぁ一緒に歌ったんべぇと思う。
by gunmaotoko
| 2017-04-25 20:06
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