群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2017年 11月 19日
正倉跡遺跡法隆寺夢殿のような形の遺跡
始まりは・・・・
上野国佐位郡正倉跡は、これまで三軒屋遺跡の名称で調査されてきました。平成14年度から、伊勢崎市教育委員会によって調査が実施されています。これらの調査により、およそ6万平方メートルの中に、礎石建物15棟、掘立柱建物40棟以上の倉庫群が検出されました。7世紀後半から10世紀前半に使われていた施設です。
上野国佐位郡正倉跡遺跡とは
2017年10月伊勢崎市立殖蓮(うえはす)小学校校庭で発掘された八角正倉院(米倉庫)が国指定遺跡になった。
その八角甲倉が三軒茶屋遺跡から発掘されたのは2005年のことで、上野の国佐位群(当時)は郡司(役人)が租税として採りたてた米をこの正倉(米蔵)に保管していたのであった。
史跡の範囲が広がった
国の文化審議会は17日、奈良、平安時代にあった郡役所施設の倉庫群などの跡地「上野国(こうずけのくに)佐位郡(さいぐん)正倉跡(しょうそうあと)」(伊勢崎市上植木本町)について、史跡指定範囲を追加するよう林芳正文部科学相に答申した。官報告示で正式に指定される。県内史跡件数は49件のまま。
追加されるのは、面積約1772平方メートルで、既に正倉院の区画溝が見つかっていた部分で、周辺からは郡家関連の遺構も確認されていた。
所有者が変わり史跡指定への同意が得られたことや、事務的な手続きが済んだことなどを契機に指定申請。追加されれば計約9万1072平方メートルになる。
志関の発掘現場が古文書の記載と一致
平成17年の調査では、全国で初めて八角形倉庫が検出され、さらにこの建物が「上野国交替実録帳(こうずけのくにこうたいじつろくちょう)」という文献の、佐位郡の正倉(米を貯蔵するための倉庫)の「八面甲倉(はちめんこうそう)」の記載と一致することが分かりました。これにより上野国佐位郡正倉跡であることが確実となったため、その名称で国指定史跡となりました。
この遺跡のように、発掘調査によって検出された遺構と、文献の記述が一致し、遺跡の内容が分かることは、全国でも珍しい事例です。また、遺構が良好に保存されているため、古代官衙遺跡(こだいかんがいせき)のあり方を考える上で極めて重要な遺跡であると言えます
他国者
殖蓮小学校で行われた3次調査では全国で初めてとなる八角形倉庫が検出されました。八角形倉庫は正倉の中でも最大規模を誇り、佐位郡正倉の象徴的な建物と言えるでしょう。
「上野国交替実録帳」の佐位郡正倉項には「八面甲倉」と書かれており、調査で確認された八角形倉庫を指しています。甲倉とは校倉造りの高床式倉庫のことと考えられており、この八角形倉庫も校倉造りの高床式倉庫と考えられています。八角形倉庫は礎石建物で外側の白線は建物の掘り込み地業、小学生の立っている小さい円が礎石を据えた痕跡です。
調査では礎石建物下層にも掘立柱式の八角形倉庫が確認されています。正倉が造られた当初から、佐位郡正倉の象徴的な建物として八角形倉庫が造られていたことが判明したのです。
。
八面甲倉の想像模型
こんな建物があったと想像される。文章による説明は残っているが図面はないらしい。
群馬男
俺なんか子供のころ社会科で習った地図にゃぁこの辺に「佐波郡」つう郡があった、
この話に出てくる佐位郡つうンはその佐波郡の前身かなんかじゃねぇかと、俺は個人的にゃぁそう思っているけど、インターネットで見てもそんなことを書いてるサイトは一つもねぇから、こりゃぁあくまで素人の推測だけど。
今残ってる佐波郡はこの話の現場よりちょっと南の方になる。今は一郡一町、で佐波郡は玉村町だけになっちゃってんだ。
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伊勢崎市・正倉跡発掘
(864)上野国佐位郡正倉跡(こうずけのくにさいぐんしょうそうあと)
正倉跡遺跡法隆寺夢殿のような形の遺跡
始まりは・・・・
上野国佐位郡正倉跡は、これまで三軒屋遺跡の名称で調査されてきました。平成14年度から、伊勢崎市教育委員会によって調査が実施されています。これらの調査により、およそ6万平方メートルの中に、礎石建物15棟、掘立柱建物40棟以上の倉庫群が検出されました。7世紀後半から10世紀前半に使われていた施設です。
上野国佐位郡正倉跡遺跡とは
2017年10月伊勢崎市立殖蓮(うえはす)小学校校庭で発掘された八角正倉院(米倉庫)が国指定遺跡になった。
その八角甲倉が三軒茶屋遺跡から発掘されたのは2005年のことで、上野の国佐位群(当時)は郡司(役人)が租税として採りたてた米をこの正倉(米蔵)に保管していたのであった。
史跡の範囲が広がった
国の文化審議会は17日、奈良、平安時代にあった郡役所施設の倉庫群などの跡地「上野国(こうずけのくに)佐位郡(さいぐん)正倉跡(しょうそうあと)」(伊勢崎市上植木本町)について、史跡指定範囲を追加するよう林芳正文部科学相に答申した。官報告示で正式に指定される。県内史跡件数は49件のまま。
追加されるのは、面積約1772平方メートルで、既に正倉院の区画溝が見つかっていた部分で、周辺からは郡家関連の遺構も確認されていた。
所有者が変わり史跡指定への同意が得られたことや、事務的な手続きが済んだことなどを契機に指定申請。追加されれば計約9万1072平方メートルになる。
志関の発掘現場が古文書の記載と一致
平成17年の調査では、全国で初めて八角形倉庫が検出され、さらにこの建物が「上野国交替実録帳(こうずけのくにこうたいじつろくちょう)」という文献の、佐位郡の正倉(米を貯蔵するための倉庫)の「八面甲倉(はちめんこうそう)」の記載と一致することが分かりました。これにより上野国佐位郡正倉跡であることが確実となったため、その名称で国指定史跡となりました。
この遺跡のように、発掘調査によって検出された遺構と、文献の記述が一致し、遺跡の内容が分かることは、全国でも珍しい事例です。また、遺構が良好に保存されているため、古代官衙遺跡(こだいかんがいせき)のあり方を考える上で極めて重要な遺跡であると言えます
他国者
殖蓮小学校で行われた3次調査では全国で初めてとなる八角形倉庫が検出されました。八角形倉庫は正倉の中でも最大規模を誇り、佐位郡正倉の象徴的な建物と言えるでしょう。
「上野国交替実録帳」の佐位郡正倉項には「八面甲倉」と書かれており、調査で確認された八角形倉庫を指しています。甲倉とは校倉造りの高床式倉庫のことと考えられており、この八角形倉庫も校倉造りの高床式倉庫と考えられています。八角形倉庫は礎石建物で外側の白線は建物の掘り込み地業、小学生の立っている小さい円が礎石を据えた痕跡です。
調査では礎石建物下層にも掘立柱式の八角形倉庫が確認されています。正倉が造られた当初から、佐位郡正倉の象徴的な建物として八角形倉庫が造られていたことが判明したのです。
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八面甲倉の想像模型
こんな建物があったと想像される。文章による説明は残っているが図面はないらしい。
群馬男
俺なんか子供のころ社会科で習った地図にゃぁこの辺に「佐波郡」つう郡があった、
この話に出てくる佐位郡つうンはその佐波郡の前身かなんかじゃねぇかと、俺は個人的にゃぁそう思っているけど、インターネットで見てもそんなことを書いてるサイトは一つもねぇから、こりゃぁあくまで素人の推測だけど。
今残ってる佐波郡はこの話の現場よりちょっと南の方になる。今は一郡一町、で佐波郡は玉村町だけになっちゃってんだ。
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by gunmaotoko
| 2017-11-19 20:00
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