群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2016年 10月 05日
下仁田諏訪神社秋季例大祭
開催日程:山車巡行10月8日(土)・9日(日)13:40~21:00
神輿渡御10月9日(日)8:00~11:20
※交通規制がございます。
問い合わせ先:下仁田町観光協会
TEL:0274-67-7500
2014年の祭りの様子

天保年間(1830~1844)より続く歴史ある勇壮な祭り。
神輿渡御や七台の山車が繰り出し巡行する。山車のすれ違う際のお囃子の競り合いは近隣の祭りにはない迫力があります。

他国者


創建は戦国時代、旧八幡神社遷座地に武田信玄が信州諏訪大社(長野県諏訪市又は下諏訪町)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
以来、周辺地域の鎮守として崇敬されています。
現在の社殿は天保8年(1837)に再建されたもので、建物全体に彫刻が施されています。

群馬男
こんなことを書くと、下仁田の人に袋叩きに合うかもしれねぇけど、冗談と思って読んでくんない。
俺のおっかさんが他界したんは1984年の事だった。
その五十日祭の法要(この言葉でいいのかな)に行くとき、まだ免許を取って一年くれぇで、運転が楽しくなってきた女房に半分くれぇ運転させて、車で帰省したんさぁ。
行くときは、東名高速で用賀から環八に出て練馬インターから関越自動車道で行ったけどずいぶん時間がかかった。
それで帰りは、「東京を抜けるんは混雑してやだから違う道でけぇるべぇ」っつって長野を回ってけぇってきた。
うちから、丹生、南蛇井から国道254に入るとすぐに下仁田町だ。
「ここが下仁田だぁ、ずいぶん山ん中の町だなぁ、ここと比べりゃぁ磯部は本当の町だな、こんなとこにも人が住んでいるんだなぁ」と女房と話しながら進んだ。
あの頃は、ほんとうにそんな感じの山村だった。国道沿いにコスモスの花が咲いていたのを覚えている。
聞いてみなけりゃわからねぇもんで、それがこんな立派な歴史のある町だったとは、夢にも思わなかった。
そんなことを知っていりゃぁあの時この山村を見る目も違っていたかもしれねぇと今は思う。
その日は、下仁田から佐久に抜けて当時「若者の軽井沢」と言われていた、清里を通り清水まで南下して帰って来た。これは30年余りも前の話だ。
・・・・・・・・・・・
余計な話
あの頃妻は、免許を取って、俺の仕事を手伝うということで、小型のライトバンを買ってやった。
運転にもだいぶ慣れてきたころだった。
行きも帰りも、この先は安全な道だなと思うと
「おい、眠くなっちゃったから、ちょっと運転代わってくれ」と言って、運転させたが、眠くなったって言ったって眠れるもんじゃぁねぇ。妻はそんな俺の顔を見て
「ねむくなったんなら眠ればいいじゃん」
まさか。おっかなくって寝てなんか入れれねぇよ、なんて言えねぇから・・・・
「席を代わるんで動いたら、眠気が覚めちゃった」と言っておいた。
そのとき走った道、国道254(旧道)内山峠あたり

他国者
このブログは群馬のことを書いていますが 群馬男の思い出の出来事も書き綴っています。
それは 群馬で生まれ育った男のブログだから・・・・・
下仁田諏訪神社秋季例大祭
(664)歴史がものをいう山の中の町の祭り
下仁田諏訪神社秋季例大祭
開催日程:山車巡行10月8日(土)・9日(日)13:40~21:00
神輿渡御10月9日(日)8:00~11:20
※交通規制がございます。
問い合わせ先:下仁田町観光協会
TEL:0274-67-7500
2014年の祭りの様子

天保年間(1830~1844)より続く歴史ある勇壮な祭り。
神輿渡御や七台の山車が繰り出し巡行する。山車のすれ違う際のお囃子の競り合いは近隣の祭りにはない迫力があります。

他国者


創建は戦国時代、旧八幡神社遷座地に武田信玄が信州諏訪大社(長野県諏訪市又は下諏訪町)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
以来、周辺地域の鎮守として崇敬されています。
現在の社殿は天保8年(1837)に再建されたもので、建物全体に彫刻が施されています。

群馬男
こんなことを書くと、下仁田の人に袋叩きに合うかもしれねぇけど、冗談と思って読んでくんない。
俺のおっかさんが他界したんは1984年の事だった。
その五十日祭の法要(この言葉でいいのかな)に行くとき、まだ免許を取って一年くれぇで、運転が楽しくなってきた女房に半分くれぇ運転させて、車で帰省したんさぁ。
行くときは、東名高速で用賀から環八に出て練馬インターから関越自動車道で行ったけどずいぶん時間がかかった。
それで帰りは、「東京を抜けるんは混雑してやだから違う道でけぇるべぇ」っつって長野を回ってけぇってきた。
うちから、丹生、南蛇井から国道254に入るとすぐに下仁田町だ。
「ここが下仁田だぁ、ずいぶん山ん中の町だなぁ、ここと比べりゃぁ磯部は本当の町だな、こんなとこにも人が住んでいるんだなぁ」と女房と話しながら進んだ。
あの頃は、ほんとうにそんな感じの山村だった。国道沿いにコスモスの花が咲いていたのを覚えている。
聞いてみなけりゃわからねぇもんで、それがこんな立派な歴史のある町だったとは、夢にも思わなかった。
そんなことを知っていりゃぁあの時この山村を見る目も違っていたかもしれねぇと今は思う。
その日は、下仁田から佐久に抜けて当時「若者の軽井沢」と言われていた、清里を通り清水まで南下して帰って来た。これは30年余りも前の話だ。
・・・・・・・・・・・
余計な話
あの頃妻は、免許を取って、俺の仕事を手伝うということで、小型のライトバンを買ってやった。
運転にもだいぶ慣れてきたころだった。
行きも帰りも、この先は安全な道だなと思うと
「おい、眠くなっちゃったから、ちょっと運転代わってくれ」と言って、運転させたが、眠くなったって言ったって眠れるもんじゃぁねぇ。妻はそんな俺の顔を見て
「ねむくなったんなら眠ればいいじゃん」
まさか。おっかなくって寝てなんか入れれねぇよ、なんて言えねぇから・・・・
「席を代わるんで動いたら、眠気が覚めちゃった」と言っておいた。
そのとき走った道、国道254(旧道)内山峠あたり

他国者
このブログは群馬のことを書いていますが 群馬男の思い出の出来事も書き綴っています。
それは 群馬で生まれ育った男のブログだから・・・・・
by gunmaotoko
| 2016-10-05 20:05
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