群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2015年 10月 18日
今の話ではなく 105年前、1910(明治43)年の10月の話です。
東武鉄道伊香保軌道線:伊香保線
明治43年開業(伊香保電気軌道として):昭和31年路線廃止により消滅
伊香保温泉に、路面電車が開業しました。渋川の街中と伊香保温泉を結ぶ伊香保電気軌道です。
榛名山の中腹にある伊香保温泉。そのため路線は急坂が続き、ジグザグに進むことで勾配を緩める「スイッチバック」が各所に設けられていました。
また下り坂になる渋川行きは、トロリーポール(架線から電気を車両に取り入れる部品)を下げ、惰性で坂を降りています。
始めは、馬車鉄道として、高崎、前橋からそれぞれ渋川まで運転され、その後電化されて、伊香保まで延伸されたようです。
今でも車両は保存展示されています。
こんな写真も展示
この伊香保電気軌道は1927(昭和2)年、東武鉄道が買収。その伊香保軌道線となったのち、バスとの競合から1956(昭和31)年に廃止されています。
他国者
伊香保温泉に電車で行くことができた。
今は・・・? 伊香保温泉アクセスで検索するとバスや車
昔の方が便利だった?
群馬男
おらぁ、他国者が書いてくれたこの記事ぃ読んだ時・・
「あぁ、あの話はこのことだったんだぁ」って、あれから半世紀もとっくに過ぎた今頃になって納得したようなわけなんさぁ。
何のことかっつうと、まだちいせぇ時に、俺のおばあさんがどっかぃ行ってきたその土産話だけど。
「イカオっつうとこぃ行ってきたんだ。そこぃ行くんにゃぁな、汽車をのりけぇてうんと乗って、着いた駅から、こんだぁちっちぇぇ、電車ん乗るんだ、高崎の街にある電車みてぇに道のまんなかぁ走るんだ、それがてぇらなとこはいいんだけど、坂道ぃ行くと電車がやっと登って行くんだ。そうして途中で止まったんで、登れなくってずり落ちるんかなと思うと反対の方にいごいて、また元の方にいごいたり、おっかねぇ様な電車だった」
こんなおばあさんの土産話を、目を光らせて聞いたのを思い出したんだ。
あん時の話が、この記事を見て思い出した。
あん時の、電車が止まっちゃって、後ろ向きに動いて、また前に動いたっつうのは、スイッチバックのことだったんだな、って今納得した。
そん時、
「イカオの湯っつうなぁ、泥水みてぇに濁ってて、てねげぇをえれると黄色くなっちゃうんだ。ほれ、こんな色んなる」つって黄色くなった手拭いを見せてくれたっけ。
こんな昔のことはよく覚えているんだいなぁ、そのかわり、二階ぃあがってって「あれ?俺なにしにきたんだっけ???」なんつう事がよくあるんはなんでだんべぇ。
こないだ、9月末に高山村ぃ行ったとき伊香保温泉に泊まったけど、渋川から伊香保までずいぶんさかみちだったけど、電車が通ってた様な様子は何もなかったし、温泉の湯も透明だった。
だけど今考えてみるとなんであそこの標識はあんな立派な光る標識だったんかなぁ、県道だからかなぁ??。
俺の通学路にあった踏切の標識だ。
東武鉄道伊香保軌道
(497) 「日本の名湯」伊香保に路面電車が開業
今の話ではなく 105年前、1910(明治43)年の10月の話です。
東武鉄道伊香保軌道線:伊香保線
明治43年開業(伊香保電気軌道として):昭和31年路線廃止により消滅
伊香保温泉に、路面電車が開業しました。渋川の街中と伊香保温泉を結ぶ伊香保電気軌道です。
榛名山の中腹にある伊香保温泉。そのため路線は急坂が続き、ジグザグに進むことで勾配を緩める「スイッチバック」が各所に設けられていました。
また下り坂になる渋川行きは、トロリーポール(架線から電気を車両に取り入れる部品)を下げ、惰性で坂を降りています。
始めは、馬車鉄道として、高崎、前橋からそれぞれ渋川まで運転され、その後電化されて、伊香保まで延伸されたようです。
今でも車両は保存展示されています。
こんな写真も展示
この伊香保電気軌道は1927(昭和2)年、東武鉄道が買収。その伊香保軌道線となったのち、バスとの競合から1956(昭和31)年に廃止されています。
他国者
伊香保温泉に電車で行くことができた。
今は・・・? 伊香保温泉アクセスで検索するとバスや車
昔の方が便利だった?
群馬男
おらぁ、他国者が書いてくれたこの記事ぃ読んだ時・・
「あぁ、あの話はこのことだったんだぁ」って、あれから半世紀もとっくに過ぎた今頃になって納得したようなわけなんさぁ。
何のことかっつうと、まだちいせぇ時に、俺のおばあさんがどっかぃ行ってきたその土産話だけど。
「イカオっつうとこぃ行ってきたんだ。そこぃ行くんにゃぁな、汽車をのりけぇてうんと乗って、着いた駅から、こんだぁちっちぇぇ、電車ん乗るんだ、高崎の街にある電車みてぇに道のまんなかぁ走るんだ、それがてぇらなとこはいいんだけど、坂道ぃ行くと電車がやっと登って行くんだ。そうして途中で止まったんで、登れなくってずり落ちるんかなと思うと反対の方にいごいて、また元の方にいごいたり、おっかねぇ様な電車だった」
こんなおばあさんの土産話を、目を光らせて聞いたのを思い出したんだ。
あん時の話が、この記事を見て思い出した。
あん時の、電車が止まっちゃって、後ろ向きに動いて、また前に動いたっつうのは、スイッチバックのことだったんだな、って今納得した。
そん時、
「イカオの湯っつうなぁ、泥水みてぇに濁ってて、てねげぇをえれると黄色くなっちゃうんだ。ほれ、こんな色んなる」つって黄色くなった手拭いを見せてくれたっけ。
こんな昔のことはよく覚えているんだいなぁ、そのかわり、二階ぃあがってって「あれ?俺なにしにきたんだっけ???」なんつう事がよくあるんはなんでだんべぇ。
こないだ、9月末に高山村ぃ行ったとき伊香保温泉に泊まったけど、渋川から伊香保までずいぶんさかみちだったけど、電車が通ってた様な様子は何もなかったし、温泉の湯も透明だった。
だけど今考えてみるとなんであそこの標識はあんな立派な光る標識だったんかなぁ、県道だからかなぁ??。
俺の通学路にあった踏切の標識だ。
by gunmaotoko
| 2015-10-18 21:21
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