群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2015年 01月 05日
1月4日からNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が放送開始となりました。
花燃ゆ → HP
吉田 松陰の妹の「杉 文」が主人公なのです。
舞台は山口県 萩ですが、文の夫・楫取素彦(かとりもとひこ)が初代・群馬県令(現在の知事)になるので、群馬県も舞台となります。
群馬県庁昭和庁舎(2階で1月10日から「ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」がオープン!)
→ ドラマ館
楫取素彦 → ゆかりの地
ドラマを見逃した方へ
ダイジェスト
多国者
ドラマの中に『人はなぜ学ぶのか?』との問いを吉田松陰と小田村が答えます。
「出世の為ではありません。かりそめの安泰に満足せず、この世のために己がするべきことを知る為にに学ぶのです。私は長州を、日本国を守りたい、己を磨きこの国のためになりたい。・・・・」
さ~この後 どのような物語が展開されていくのか 楽しみです。
富岡製糸場の世界遺産登録 そしてNHKの大河ドラマの舞台に・・・
低い知名度から脱却できるでしょうか?
燃えよ! 群馬
群馬男
俺は今日このブログの資料で知ったけど、吉田松陰の義理の弟が、初代群馬県知事(県令)だったなんつう事は知らなかった。学校の社会科でも、日本史でも習った覚えがねぇ。
(もしかすると習ったけど頭にへぇらなかったんかもしんねぇけどな)
だけど、高校の歴史で、「江戸幕府の最後のころに長門の国に吉田松陰と言う偉い先生がいて、その先生の門下生が明治維新を起こしたんだ」と言うような意味のことは習った記憶がある。
だったらなんでもう一歩踏み込んで
「そのえらい先生の妹の旦那が、初代群馬県知事になった人だ」っておせぇてくんなかったんだんべぇか。
それともあの先生自身も勉強不足で知らなかったんかなぁ。
学生の頃それぇ聞いてりゃぁ、あん時もっと発奮して、俺も・・・っつう気んなって勉強して、もっとえれぇ人になっていたかも・・・・・そんなこたぁねぇだんべぇけどさ。
NHK 大河ドラマ 花燃ゆ
(354)ヒロイン文の夫・楫取素彦の愛した絹の国 群馬
1月4日からNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が放送開始となりました。
花燃ゆ → HP
吉田 松陰の妹の「杉 文」が主人公なのです。
舞台は山口県 萩ですが、文の夫・楫取素彦(かとりもとひこ)が初代・群馬県令(現在の知事)になるので、群馬県も舞台となります。
群馬県庁昭和庁舎(2階で1月10日から「ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」がオープン!)
→ ドラマ館
楫取素彦 → ゆかりの地
ドラマを見逃した方へ
ダイジェスト
多国者
ドラマの中に『人はなぜ学ぶのか?』との問いを吉田松陰と小田村が答えます。
「出世の為ではありません。かりそめの安泰に満足せず、この世のために己がするべきことを知る為にに学ぶのです。私は長州を、日本国を守りたい、己を磨きこの国のためになりたい。・・・・」
さ~この後 どのような物語が展開されていくのか 楽しみです。
富岡製糸場の世界遺産登録 そしてNHKの大河ドラマの舞台に・・・
低い知名度から脱却できるでしょうか?
燃えよ! 群馬
群馬男
俺は今日このブログの資料で知ったけど、吉田松陰の義理の弟が、初代群馬県知事(県令)だったなんつう事は知らなかった。学校の社会科でも、日本史でも習った覚えがねぇ。
(もしかすると習ったけど頭にへぇらなかったんかもしんねぇけどな)
だけど、高校の歴史で、「江戸幕府の最後のころに長門の国に吉田松陰と言う偉い先生がいて、その先生の門下生が明治維新を起こしたんだ」と言うような意味のことは習った記憶がある。
だったらなんでもう一歩踏み込んで
「そのえらい先生の妹の旦那が、初代群馬県知事になった人だ」っておせぇてくんなかったんだんべぇか。
それともあの先生自身も勉強不足で知らなかったんかなぁ。
学生の頃それぇ聞いてりゃぁ、あん時もっと発奮して、俺も・・・っつう気んなって勉強して、もっとえれぇ人になっていたかも・・・・・そんなこたぁねぇだんべぇけどさ。
by gunmaotoko
| 2015-01-05 22:00
|
Comments(2)
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by
桜井
at 2015-01-06 20:35
x
吉田松陰が勤王思想に影響を受けた人が群馬の太田の
出身です。名前は高山彦九郎。
松陰の名前は高山彦九郎の戒名の「松陰○○○」からもらったみたいです。
京都には功績を讃えて銅像はあるが群馬にはない。
出身です。名前は高山彦九郎。
松陰の名前は高山彦九郎の戒名の「松陰○○○」からもらったみたいです。
京都には功績を讃えて銅像はあるが群馬にはない。
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by
gunmaotoko at 2015-01-07 09:27
桜井さま
コメント有難うございます。
高山彦九郎も群馬出身の方だったのですか、存じませんでした。
もう15年ほどになりますか、妻と京都に遊びに行ったとき三条大橋のたもとにあるあの姿の銅像を見て、この人のことを知りました。その時のインパクトが強かったのか、名前もその姿もしっかり覚えていましたが、この方が群馬県出身者とは知りませんでした。私は戦後の教育思想(人間天皇)で育ちましたから、学校教育には現れなかったのでしょうね。この方は尊王思想の強い人で、亰の町に入るときにはいつもこのように敬意を表してから入ったということですね。
いい話を聞かせていただきました。嬉しいです。
何かの折にブログのネタにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
コメント有難うございます。
高山彦九郎も群馬出身の方だったのですか、存じませんでした。
もう15年ほどになりますか、妻と京都に遊びに行ったとき三条大橋のたもとにあるあの姿の銅像を見て、この人のことを知りました。その時のインパクトが強かったのか、名前もその姿もしっかり覚えていましたが、この方が群馬県出身者とは知りませんでした。私は戦後の教育思想(人間天皇)で育ちましたから、学校教育には現れなかったのでしょうね。この方は尊王思想の強い人で、亰の町に入るときにはいつもこのように敬意を表してから入ったということですね。
いい話を聞かせていただきました。嬉しいです。
何かの折にブログのネタにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。