群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2014年 03月 05日
当時の田舎育ちの少年たちは概してそうだったように、少年Yも、知らない人の前では、おとなしい子だった。
でも家で閉じこもることはなく友達も多く楽しく過ごしていた。
当時田舎では、およそ半数の生徒が高校に進学していた。
少年は半ば世間の経済情勢に決めつけられるように、自分の意に反して商業高校に進学した。
家から徒歩15分ほどのところに駅があった、少年はその駅からおよそ25分汽車に乗って通学していた。
当時は電車ではなく、長距離の各駅停車の汽車で、SLが引っ張るいわゆる「汽車」だった。
やはり汽車で通学していた姉と、毎朝駆け足で駅まで行き、改札を入ると同時に、発車の汽笛が鳴るような毎日だった。
でも帰りは一時間に一本しかない汽車も、乗り遅れたらそこらをぶらぶらして次に乗ればよかった。
そんなある日のこと
少年Yはいつものように授業が終わって、この日は一人で最寄りの駅から、新潟県柏崎行きの汽車に乗った。
冬だったが、車内は満員だった。
デッキは寒いので客室に入り立ったままカバンから教科書を一冊出して、かばんは網棚にのせて、適当なページを開いて、読むようなふりをして目は教科書に、耳は近くの乗客の会話に集中していた。
近くの席に学齢前と思われる男の子とその両親が楽しそうに話していた。
都会の家族の会話に慣れていない少年の耳は異常なほどその会話に集中していた。
「東京の人はどんな話をするんだんべぇ、家族のあいだじゃぁどんな言葉ぁ使うんだんべぇ」興味津々だった。
するとその男の子は母親に
「ねぇ、お母さまぁ、あそこに富士山が見えるよぉ」
「あら、ほんとねぇ、真っ白で綺麗ねぇ。ねぇお父さまぁ、こんなところからも富士山がみえるのね」
と夫に話を向けた。
夫も
「あ、ほんとだね、富士山は高い山だから遠くの方からも見えるんだね。さすが日本一の山だ綺麗だね」
と答えた。
おとなしい少年はそれをきいていて。
「あれは富士山ではなく、浅間山で、群馬県と長野県の境目にある山なんですよ」と一言言いたかった。
それがどうしても言い出せなかった。
何も話していないのに自分の顔が赤くなるのがわかった。
「あぁ俺はどうしてこんなに内気なんだんべぇ」と自信喪失のまま、降りる駅についてしまった。
その内気な田舎の少年Yこそが今の俺なんだ。
そんな内気だった少年もそれからの年月は、その内気な性格をがらりと変えてしまった。
それは過ぎた年月だけのせいではない、高校を卒業して、東京に就職した俺は、いつまでもそんな内気な少年のままでは、社会が許さなかったのだ。
これが人生というもので、自分自身でもビックリするほど変わった。
今ではこんな具合だ。
有る時、九州、日田の産品の展示会だった。
会場で、あるおばあさんたちが(私より年長と見えた)
「この字はなんて読むんでしょねぇ。ひだかしら、にったかしら」と話していた。
それを聞いた俺は、平気でその話に割り込んで、
「これはひたと読むんですよ、九州の大分県の山の中の町で、杉の木で作った下駄が有名です。それからここの日田高校は時々甲子園でも活躍してますよ」とありったけの知識を頼まれもしないのに披露してきた。
こんな男に社会がしてくれたのだ。
でも、俺は思う”三つ子の魂百までも”というように、心の底の方には少年のころの内気な性格も潜んでいることは自分自身でよくわかる。
おれって本当は内気なんだぜぇ
でも俺にとって浅間山は富士山と間違えてもらいたくない故郷の山だ。
そして富士山は、それが好きで静岡に住み着いたほどの好きな、日々崇めそして眺め楽しんでいる山なんだから。
他国者
群馬男から・・・このようなことを聞かれた。
富士山と浅間山を間違えてる人の話し前に書いたことがあったかなぁ??。
たしか聞いたことがあったような気がする。
しかしこの話は群馬男の心に中にかなり思い出の残った出来事なのでしょう。
今 浅間山は雪をかぶり美しい姿を見せてくれていることでしょう。
幼いころから眺め育った群馬男の心の山なのだと思います。
他国者にとってもブロ友の皆さまにとっても、このように 郷愁に浸る群馬男の姿は心地よく受け止めることができるのではないでしょうか?
おれって本当は内気なんだぜぇ
この言葉をこのようなブログに若き少年時代の一こまを書き残す。
「群馬で生まれ群馬で育った男のブログ」
今日も群馬男の自分史の1ページだと思います。
少年と浅間山
(203)我が心の山 今頃の浅間山は・・?
当時の田舎育ちの少年たちは概してそうだったように、少年Yも、知らない人の前では、おとなしい子だった。
でも家で閉じこもることはなく友達も多く楽しく過ごしていた。
当時田舎では、およそ半数の生徒が高校に進学していた。
少年は半ば世間の経済情勢に決めつけられるように、自分の意に反して商業高校に進学した。
家から徒歩15分ほどのところに駅があった、少年はその駅からおよそ25分汽車に乗って通学していた。
当時は電車ではなく、長距離の各駅停車の汽車で、SLが引っ張るいわゆる「汽車」だった。
やはり汽車で通学していた姉と、毎朝駆け足で駅まで行き、改札を入ると同時に、発車の汽笛が鳴るような毎日だった。
でも帰りは一時間に一本しかない汽車も、乗り遅れたらそこらをぶらぶらして次に乗ればよかった。
そんなある日のこと
少年Yはいつものように授業が終わって、この日は一人で最寄りの駅から、新潟県柏崎行きの汽車に乗った。
冬だったが、車内は満員だった。
デッキは寒いので客室に入り立ったままカバンから教科書を一冊出して、かばんは網棚にのせて、適当なページを開いて、読むようなふりをして目は教科書に、耳は近くの乗客の会話に集中していた。
近くの席に学齢前と思われる男の子とその両親が楽しそうに話していた。
都会の家族の会話に慣れていない少年の耳は異常なほどその会話に集中していた。
「東京の人はどんな話をするんだんべぇ、家族のあいだじゃぁどんな言葉ぁ使うんだんべぇ」興味津々だった。
するとその男の子は母親に
「ねぇ、お母さまぁ、あそこに富士山が見えるよぉ」
「あら、ほんとねぇ、真っ白で綺麗ねぇ。ねぇお父さまぁ、こんなところからも富士山がみえるのね」
と夫に話を向けた。
夫も
「あ、ほんとだね、富士山は高い山だから遠くの方からも見えるんだね。さすが日本一の山だ綺麗だね」
と答えた。
おとなしい少年はそれをきいていて。
「あれは富士山ではなく、浅間山で、群馬県と長野県の境目にある山なんですよ」と一言言いたかった。
それがどうしても言い出せなかった。
何も話していないのに自分の顔が赤くなるのがわかった。
「あぁ俺はどうしてこんなに内気なんだんべぇ」と自信喪失のまま、降りる駅についてしまった。
その内気な田舎の少年Yこそが今の俺なんだ。
そんな内気だった少年もそれからの年月は、その内気な性格をがらりと変えてしまった。
それは過ぎた年月だけのせいではない、高校を卒業して、東京に就職した俺は、いつまでもそんな内気な少年のままでは、社会が許さなかったのだ。
これが人生というもので、自分自身でもビックリするほど変わった。
今ではこんな具合だ。
有る時、九州、日田の産品の展示会だった。
会場で、あるおばあさんたちが(私より年長と見えた)
「この字はなんて読むんでしょねぇ。ひだかしら、にったかしら」と話していた。
それを聞いた俺は、平気でその話に割り込んで、
「これはひたと読むんですよ、九州の大分県の山の中の町で、杉の木で作った下駄が有名です。それからここの日田高校は時々甲子園でも活躍してますよ」とありったけの知識を頼まれもしないのに披露してきた。
こんな男に社会がしてくれたのだ。
でも、俺は思う”三つ子の魂百までも”というように、心の底の方には少年のころの内気な性格も潜んでいることは自分自身でよくわかる。
おれって本当は内気なんだぜぇ
でも俺にとって浅間山は富士山と間違えてもらいたくない故郷の山だ。
そして富士山は、それが好きで静岡に住み着いたほどの好きな、日々崇めそして眺め楽しんでいる山なんだから。
他国者
群馬男から・・・このようなことを聞かれた。
富士山と浅間山を間違えてる人の話し前に書いたことがあったかなぁ??。
たしか聞いたことがあったような気がする。
しかしこの話は群馬男の心に中にかなり思い出の残った出来事なのでしょう。
今 浅間山は雪をかぶり美しい姿を見せてくれていることでしょう。
幼いころから眺め育った群馬男の心の山なのだと思います。
他国者にとってもブロ友の皆さまにとっても、このように 郷愁に浸る群馬男の姿は心地よく受け止めることができるのではないでしょうか?
おれって本当は内気なんだぜぇ
この言葉をこのようなブログに若き少年時代の一こまを書き残す。
「群馬で生まれ群馬で育った男のブログ」
今日も群馬男の自分史の1ページだと思います。
by gunmaotoko
| 2014-03-05 00:01
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