群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2017年 10月 18日

今月28日は群馬県民の日

(849)10月28日は群馬県民の日



10月28日は群馬県民の日です。

ぐんまフラワーパークは、群馬県前橋市柏倉町にある群馬県立の植物園。
群馬県民の日の10月28日は、赤城山麓の群馬フラワーパークではいろいろな催しが行われます。

木登り体験ツリイング大会

もうおなじみのツリイング大会が28日に行われます。

a0290852_22161189.jpgぐんまフラワーパークで一番高いケヤキの木に登ります。

ツリーイングとはロープを使った木登りのことです。ハーネスなど安全器具をしっかり身に着け、プロの指導のもと行います。

下は6歳くらいのお子様から上は階段を登れるくらいの体力があれば制限はありません。登る高さもスピードも自分で決めることができるので、ゆったり自然を満喫することができます。もちろん眺めは最高!秋の風を感じながら親子、3世代揃って木登り体験をすることもできます。
赤城南麓収穫祭

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赤城南麓収穫祭を次の日程で開催します 日程  10月28日土曜日と29日日曜日

 時間  9時30分から16時まで
 料金  入園料として一人600円ですが28日は県民の日でスカラ入園料は無料。

地元で収穫された農産物の販売はもちろん、自慢の地元グルメの数々や、群馬名物「焼きまんじゅう」なども味わえます。
また園内にフリーマーケットもたくさん出展されます

園内ではダリア、サルビアなどの花々が咲き誇り、秋の風景に彩を添えてくれます。

また、今年はハロウインイベントとして仮想して来援された方にはお菓子のプレゼントがあります。


きっずダンスステージ

当日午後1時から、とんがりテントではきっずダンス「S/A」によるステージが催されます。
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前橋高校吹奏楽部演奏会

前橋高等学校吹奏楽部による演奏会がとんがりテントで行われます。
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時間は午前11時から午後2時までです。

この演奏の迫力は半端ないですよ。
これも素晴らしいです。

他国者

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「かかあ天下と空っ風」。女は働き、男はバクチで、義理人情タイプ

群馬県民?は・・・・



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# by gunmaotoko | 2017-10-18 20:05 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 16日

千葉県の赤城山

(848)赤城山から流れて来た赤城山


群馬から山が流れてきた? 流山の「赤城山」と地名発祥伝説 

千葉県の江戸川沿いにある「流山市」をご存知ですか。

千葉県流山市と言えば新撰組や小林一茶ゆかりの地であり、歴史的建造物が多く建ち並ぶ町ですがその流山市に群馬県の赤城山と縁の深い伝説を持った、赤城山があるのです。

千葉県流山市流山6丁目。総武流山電鉄線の平和台駅から南西に500m。
そこに海抜15mのこんもりとした小山がある。これが赤城山である。
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頂上には赤城神社が祀られている。
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赤城神社に向かう表参道の入り口には、鳥居の前には, 長さ10m・太さ1.5mという巨大なしめ縄が飾られている。
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その前に 流山市が建てた「赤城神社」の標識があって, ここが「流山の地名発祥伝説がある神社」 であると書かれている。

言い伝えによると, 昔 関東地方に大雨が降り, 渡良瀬川に濁流が押し寄せ, 上州・赤城山の麓を削り, 現在の利根川・江戸川を経て この地をも襲った。

水が引いた後には 小山が残っていた。

これが 現在の赤城神社の鎮座している山 (高さ15m, 周囲350m)であるとされる。

このことから「山が流れてきた」という意味を込めてこの地の「流山」という地名が発生した, という。

(別の説によると, 流れてきたのは山ではなく, 群馬県・赤城神社のお札だったという説もある)

ここの赤城神社の説明板には 次のように書かれている。


しめ縄について
赤城神社大しめ縄行事
            流山市指定無形民俗文化財第三号

 しめ縄は, 神前や神聖な区域に懸け渡して内外 を分け, 不浄をさえぎるものである。赤城神社の 大しめ縄は, 十月十九日, 二十日(現在は第三土・ 日曜日)の祭礼に先だち, 神社の清掃や祝祭など が行われる十月十日(この日を宮薙という) に氏 子たちが力をあわせて作る。
 稲ワラを打ち, 縄をないで出来上がった大しめ 縄は, 長さ約10m, 太さ約1.5m, 重量約300kg あり, 近郊では屈指の大きさを誇る。
 赤城神社には, 上州(群 馬県)の赤城山の土あるい はお札が流れついたという 伝説があり, 「流山」という 地名の由来とも言われてい る。
 大しめ縄は, 現在では祭 礼の後も取り除かれずに, 一年の間人々を見守ってい る 。
            流山市教育委員会



神社境内の説明看板文には
流山の地名発祥伝説がある神社。祭神は 大己貴命(おおなむちのみこと)。
元和6年(1620) 再建。赤城山は標高約15m。数 多くの神社のほか, 波切不動尊などの石 造物がある。
大しめ縄づくりは市指定無 形民俗文化財。
と記されている。

100kmも離れた赤城山から山の一部が流れてきてこの地に流れ着いたという伝説のある、この赤城山とここ流山市の名前の由来の話でした。

他国者

これは地名の由来となった群馬の赤城山に行くしかありません。
どの部分が流れて行った?のでしょう。


群馬男

こらぁあくまで俺の想像だけど・・・。

時代がいつごろかわからねぇけど、元和6年に再建したっつうから、それからも400年も経つんだからかなり昔の話だんべぇなぁ。
そんな昔は利根川だって江戸川だってろくな護岸はしてなかったんべぇと思うんさぁ。
大雨でうんと土砂がうんとこの地に流れてきて川の流れの関係でちょうどこのあたりに土砂が堆積して、水が引いてみ見たら山んなっていたんだんべぇ、だから赤城山の一部がそのまんま土の塊んなって流れてきたわけじゃぁなく、そんな山が出来た時、この大雨で遠く離れた赤城山が土砂崩れがあったっつう話があって、こらぁ赤城山の土だんべぇっつうことになったんだんべぇと思う。
いまひとつ付け加えりゃぁ上流からゴミも一緒に流れてきてその中から赤城神社のお札も交じっていて、ここでめっかったっつうことなんじゃねぇんかと思うけどなぁ。
あくまで俺のフィクションだぜぇ、この話は。流山の人たちの夢を壊しちゃぁ悪りぃもんなぁ。



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# by gunmaotoko | 2017-10-16 20:05 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 14日

小林綾子と赤城山の四季を訪ね歩く 参加者募集

(847)美人女優と赤城山を歩く



小林綾子さんと赤城山を巡ろう 21日からツアー第2弾「黄葉編」


JTB関東法人営業群馬支店は、前橋市の赤城山で21日から1泊2日の日程で開くツアー「小林綾子と赤城山の四季を訪ね歩く~黄葉編~」の参加者を募集しています。

NPO法人赤城自然塾が実施した6月の初夏編に続く第2弾。NHKドラマ「おしん」に子役で出演した女優の小林綾子さんと共に黒檜山や覚満淵、赤城神社などを巡り、大沼湖畔の青木旅館に宿泊する。

2人一組で参加を受け付ける。参加費は2人で3万9800円。

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詳しくは → こちらをクリック

標高1828mの主峰、黒檜山などで構成される赤城山の周辺は、自然の宝庫で見どころが多い。
山麓にある大沼や小沼を1周するハイキングコースは、赤や黄色に色づいたナナカマドやミズナラ、カエデなどを楽しむのに最適。

湖面に映えるコントラストも美しい。湿原の覚満淵(かくまんぶち)では草原の紅葉も楽しめる。

覚満渕の紅葉
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他国者 

a0290852_2055466.jpg小林綾子 ずいぶん昔のNHKのテレビの「おしん」の子供時代の主人公


群馬男

赤城山のこうようかぁ、今頃が一番いいころだんべぇなぁ。
覚満渕っつうなぁ山頂の大沼、小沼たぁ全く違う湿地で、ここの紅葉はまた格別だと思う。

小林綾子、私生活は別として、俺の好きな女優のひとりだ。言ってみりゃぁ「天才美人女優」っつうとこだんべぇ。
こんな人と二人で「あの遊歩道を歩いたら、いいだんべぇなぁ、おぉぉ、いけねぇ よだれが・・・。
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# by gunmaotoko | 2017-10-14 15:10 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 12日

わたらせ渓谷鉄道廃線跡を歩くツアー

(846)わ鉄廃線跡ウオーキングツアー


廃線跡を歩こう 11月、わ鉄が参加者募集

このイベントは、栃木県日光市で行われるものですが、群馬県のわたらせ渓谷鉄道のイベントなので、ここで取り上げてみました。
イベントに参加して過去にあった足尾鉱毒問題も勉強してきてください。

わたらせ渓谷鉄道の廃線跡ツアー「廃線跡を歩こう」が11月25日、栃木県日光市足尾町で開かれる。現在の終着駅・間藤から、かつての終点・足尾本山までを歩く。


普段は立ち入ることのできない同区間は、第2松木川橋梁(きょうりょう)や向間藤、向赤倉の両トンネルなどがあり、腕木式信号機も見られる。足尾銅山観光の見学も楽しめます。

先着30人。参加費は大人5500円。小学生4000円(3年生以上で単独での参加は不可)。間藤駅までの往復運賃とトロッコ整理券、足尾銅山観光入館料を含む。申し込みはわ鉄(☎0277・73・2110)へ。

以前の参加者
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わたらせ渓谷鉄道について

この渡良瀬川に沿って、古くから街道と鉄道が通っていた。
江戸時代に切り開かれた街道は足尾銅山から産出する胴を運ぶことから「銅(あかがね)街道」といわれ、現在は一般国道国道122号の愛称となっている。
鉄道の方は明治末から大正の初期にかけて開通したもので、最初は民鉄の「足尾鉄道」であったものが「国鉄足尾線」「JR足尾線」を経て、現在は第三セクターの「わたらせ渓谷鐵道」が経営する「わたらせ渓谷線」になっている。

いずれのミチも当初は足尾銅山と関東を結ぶために整備されたものであり、特に未だ足尾の地に終点を持つ鉄道の方は、昭和48年の閉山以来赤字の度合いを増していて、現在でも廃止の議論が絶えないようである。

第三セクターが旧国鉄から引き継いだとき、一番山奥の部分間藤(まとう)-足尾本山間は残した。
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今回のイベントはその残して部分を歩こうというものである。
この区間は1998年に鐡道事業免許は失効している。
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他国者



a0290852_5574317.jpgたぶんこのような景色も楽しめます。

腕木式信号機
うでぎしきしんごうき

腕木の上下で列車の運転条件を指示する信号装置。 柱に取り付けた鉄製の腕木が、水平なら進入禁止(赤)を、45度下がった状態で進入可(青)を示す。 ホームの駅員が手動でテコを上下させて切り替える。 「セマホール」,「セマフォ」とも呼びます。



群馬男

昭和初期の鉄道施設を見学することが出来るようで、楽し気なツアーだと思う。
この、腕木式信号機なんつうンは、子供のころは「信号」っつやぁこれだった。
だって道路の交差点の信号なんかなかったんだもの、遠くの方にある信号を見て、「信号が下がってるからもうすぐ汽車がくるどぉ」なんつったもんさぁ。
写真の信号は駅から離れたとこにある遠方信号だ。

駅のすぐ近くに駅の構内にへぇってもいいっつう為の信号がある。このなかにゃぁ黄色のやつがあるんだ、それが下がってると汽車のスピードが速い。黄色の信号は、この駅は通過してもいいっつう信号なんだ。赤の信号ん時は駅で止まるからスピードをおとしてるんさぁ、それで駅長からタブレットのへぇった輪っかを貰わねぇと発車出来ねぇんだ。

転轍機(てんてつき)だの、梃子(てこ)だの、面白れぇものがみられるんだんべぇなぁ。

おれもいってみてぇけどなぁ、とわすぎらぃ。(遠すぎます)。





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# by gunmaotoko | 2017-10-12 20:25 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 10日

桐生川 と越県合併

(847)桐生川と越県合併と梅田湖



〇 プロローグ

書き出しから変なことを書くが・・・・。

我が家のトイレの壁にカレンダーがかけてある。
10月をめくると変わった写真が出て来た。
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この絵の説明にグラフィックデザイナーの熊倉聖也さんはこの様に書いている.

菱町(桐生市)は私が生まれ育った地。山に囲まれ町を流れる桐生川の上流には蛍の姿も。
一方山に入れば天然の湧き水。鹿などの野生動物にも出会うことも。
家々と自然との距離が近いので夢と現実を行き来している気持ちになります。
都市部にお住まいの方には是非私の大好きな夢と現実の狭間にいる感覚を体感して欲しい。


私は「菱町ぃ?、どっかで聞いたことがあるような気がする>と調べてみたら・・・

〇 菱町のこと

今は桐生市の一部だが・・・その昔。

1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、栃木県上菱村、黒川村が合併し菱村が成立する。
菱村(ひしむら)は栃木県の南西部、足利郡に属していた村である。群馬県と境を接する。
県境であった桐生川の河川管理が財政的に負担であったことで、対岸の桐生市と越境合併(越県合併)した。
そして現在の桐生市菱町が誕生した。

そのためにこの部分の県境は東におよそ3kmほど移動することになった。
すなわち、群馬県の面積が広くなっている。

〇 梅田町のこと

菱町を流れる桐生川の上流にある梅田町は明治中頃に五ケ村が合併して群馬県山田郡梅田村が成立した。
そして戦後になって、桐生市に編入合併して桐生市梅田町となる。
その後1968年栃木県安蘇郡田沼町飛駒の一部、入飛駒(いりひこま)地区が、桐生市に越境編入合併した。
住民も、村落も、先祖代々の墓地も、学校までも一緒に持ってきたと書きたいが、言うまでもなくそれらはすべて、物理的にはもとのままで、行政と地名(村名)だけが変ったのであった。
梅田町4丁目となった。1968年のことだった。

ところがその後、下流域の水資源確保、治水、水力発電などを目的にダム建設が始まったのが1972年のこと。
このダムも、ダムの底に沈むことになる住民がいた、それが、つい数年前に栃木県から編入合併した地区の人たちだった。
住宅も学校も先祖の墓までもダムの底に沈むことになった、何とも皮肉なめぐりあわせだったと言える。
ダムは10年の歳月をかけて完成し「桐生川ダム」と名付けられた


〇 梅田湖のこと

ダムができたころには桐生川ダム湖と呼ばれていたが、昭和60年に一般公募し、梅田湖に決定。
ダムは桐生市梅田町にある。 周囲に自然に囲まれ、自然景観を保全しながら、広場や遊歩道、公園などの整備が進められている。

でもそのダムの底には59人の住人の想いが埋まっているし、・・・・。

桐生川ダム
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梅田湖と梅田橋
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四季を問わず素晴らしい景色を提供してくれる山里だ。
特にこれからの紅葉のシーズンは素晴らしいと思う。

〇 心霊スポットのこと

但し、なるべく明るいうちのお出かけになったほうがよろしいかと・・・
このページを見るととても詳しくこのあたりのことが写真入りで書いてあります。

私も、このサイトをいっそ丸写ししたい気分でしたがそれでは失礼なのでリンクさせていただきました。

〇 エピローグ

この記事の最初に、菱町という名前に憶えが…なんて書きましたがこれは、以前どこかのページで、「越県合併は身売りか?」なんて言うのをこ読んだ覚えがあったのでした。

この記事を書いたお陰で梅田湖を知りました。
機会があれば訪問してみたいと思います・・・・昼間の時間帯にね。

他国者

桐生川ダム このようなダムや湖があったのですね













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# by gunmaotoko | 2017-10-10 20:05 | Trackback | Comments(1)


群馬で生まれ群馬で育った男のブログ 今は故郷を離れ遠くの町から  こよなく群馬を愛する男と、群馬を全く知らないひととのブログです。


by gunmaotoko

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