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群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2017年 05月 13日

太陽の鐘(岡本太郎作)前橋へ



(771)岡本太郎の太陽の鐘・前橋へ


2~3日前の静岡新聞にこんな記事が載った。
小さな記事だが、前橋の文字が目についたので読んでみた。
太陽の鐘(岡本太郎作)前橋へ_a0290852_6381839.jpg


へぇぇ。

そういえば昔、ずいぶん前のことだが。
伊豆へドライブに行って、旧韮山町に行った。伊豆の反射炉を見て、日通伊豆富士見ランドに行った。
印象に残っていたのが、小高い丘の上にあった変なものだった。

あの時の絵葉書から
太陽の鐘(岡本太郎作)前橋へ_a0290852_6202311.png


あの時それを見ながら・・・・
「あぁやっぱり・・岡本太郎作だって、あの人はどうしてこうゆうデザインにするんだろう?」と妻と話した記憶がある。

爆発するような芸術を理解する能力のない私の考えだった。

この遊園地はだいぶ前に閉鎖になった。このぶら下がっていた鐘のことなんかすっかり忘れていた。

それが今回、群馬県に貰われていくことになったということでニュースになった。

 「太陽の鐘」は、岡本が大阪万博の仕事にとりかかる前年の66年に制作したもの。岡本が生涯で制作した鐘は2つしか存在せず、そのなかでも自身のシンボルである太陽の名を冠したのはこの「太陽の鐘」のみ。

 鐘を吊るすモニュメントも一体として制作された作品で、鐘本体だけでも直径1.2メートル、高さ2.4メートル、重さ約3トンにもなる大作だ。日本通運が運営する静岡県のレジャー施設内に設置されたが、99年の施設閉園後は日の目を見ることなく、幻の作品となっていた。

 移設を主導するのは、前橋市のまちづくり支援を目的に同市に拠点を置く企業24社により運営される「太陽の会」。前橋ビジョンの基本理念「めぶく。」の策定に携わり、岡本太郎財団との関わりも深い同市出身の「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰・糸井重里を通じてこの「太陽の鐘」の存在を知り、前橋市再生のシンボルとして作品の修復と移設を発案した。

実物大のレプリカ(写真切り抜き)を囲んだ、移設に尽力した面々の記念写真
太陽の鐘(岡本太郎作)前橋へ_a0290852_647505.jpg


設置場所は広瀬側河畔。設置に関わるデザインは建築家の藤本壮介さんが担当する。お目見えは11月頃とみられる。
この写真の前に置かれているのは移築後を予想した模型。
太陽の鐘(岡本太郎作)前橋へ_a0290852_6544758.jpg


他国者

群馬県と言ったら 小麦粉 うどん
日本3大うどん「水沢うどん」で有名な大澤屋は岡本太郎先生とも縁が深く、第一店舗には岡本太郎作品が数々展示されています。

太陽の鐘(岡本太郎作)前橋へ_a0290852_1444795.jpg岡本太郎と群馬県渋川市のうどんやさん
どのようなつながりがあるのだろう?


太陽の鐘(岡本太郎作)前橋へ_a0290852_14205781.jpgお店の包装紙も岡本太郎によって書かれたもの

うどん好きだったのかな?


群馬男

むかーし、あそこぃいって、あの鐘を見たんだけど、すっかり忘れてた。
あんと気だって、「何でこんなとこにこんなものがあるんだんべぇ?」と思ったもんだった。
だから新聞の記事ィ見たって、「あぁ、あの鐘のことか」なんつうわけにゃぁ行かなかったんさぁ。

だけどほかのサイトを見て、韮山の遊園地にあったって書いてあったんで、確かあんとき絵葉書ぃ買ったっけなぁとあっちこっちさがねたら出てきたっつうわけなんさぁ。

県庁の裏の方の川っぷちぃ設置するそうだけど・・・・太陽の塔みてぇに有名にゃぁなんねぇだんべぇなぁ。



by gunmaotoko | 2017-05-13 20:05 | Comments(0)
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