群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2016年 03月 11日
世界遺産・富岡製糸場に近い上信電鉄上州富岡駅から、下仁田に向かって三つ目の駅、一宮駅から徒歩15分ほどのところに、一之宮・貫前神社がある。
その歴史は1500年に及び、上野一の神社(上野の国一番の神社)として崇められてきた。
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)は、群馬県富岡市一ノ宮にある神社。式内社(名神大社)、上野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
貫前神社 配置図
この神社の境内は正面参道からいったん石段を登り、総門をっくぐったところから石段を下ると社殿があるという、いわゆる「下り宮」と呼ばれる配置となっている。
桜門、拝殿、本殿等が重要文化財に指定されている。
近年リニューアルされて極彩色の漆塗りできらびやかな社殿である。
一番奥まった本殿は外からはわからないが 単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである。また、内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられ、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている。
手前が拝殿、奥が本殿
祭神は以下の2柱。
経津主神 (ふつぬしのかみ)
葦原中国(日本)平定に功績があったとされる神。当社では物部氏の祖神と紹介している。
姫大神 (ひめおおかみ)
祭神の名前は不詳。一説には、綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神とされる。
難しいことはわからないが、祭神は女神さまのようだ。
その印として本殿の屋根の突き出ている「千木=ちぎ」と言われる飾りの先端は、内削ぎになっている。
千木はこんな形になっている
男性の神様が祭られている場合は外削ぎの形に、女神さまの場合は内削ぎに作られている。
また本殿の妻の部分には、雷神様がいつでも本殿に出入りできるようにと言う意味で「雷神小窓」が付けられている。雷神様も同社殿に合祀されている。
拡大すると
先日NHKのテレビでやっていたけど出雲大社のそれはとんがりが上を向いている外削ぎ。大国主命は男性だから。
そして、この神社は「貫前神社」だがここから北北東に5kmほどのところには「咲前神社=さきさきじんじゃ」がある。ここは貫前神社の前宮で、二つのお社は深いつながりのある神社のようだ。
因みにこの咲前神社は群馬男の母の実家の近くで、私らも子供のころは咲前神社なんて呼ばずに、「鷺ノ宮さま」と呼んでいた。
この辺りの地名が鷺ノ宮なのだ。
鷺宮・咲前神社本殿
他国者
群馬男は詳しいですね
「鷺ノ宮さま」はどのような関係?
群馬男
貫前神社と鷺ノ宮さまとの関係は、俺が説明するべぇ。
ウィキペディアにはこんな記述がある。
貫前神社の創建
社伝によると、貫前神社の創建は安閑天皇元年(531年?)3月15日、鷺宮(現 安中市の咲前神社に比定)に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、荒船山に発する鏑川の流域で鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まりといわれる。
なお比定ということは、確たる証拠になるものはないが、周囲の条件を比較するとこれが正しいと思われるという意味。
だから、貫前神社は最初は今の咲前神社の位置に創建されたと思われるという関係です。1500年近くも前の話です。
(この記事のきっかけは、俺の甥っ子が「貫前神社と咲前神社」のことを教えてくれたことでした)。
子供のころ俺のねぇちゃんたちが、こんな歌を歌いながらまりつきをしていたんを思い出す。
俺はまりつきに参加はしなかったんだけど歌だけは覚えている。
題名はたぶん「一番初めは一之宮」っていうんだと思う。
それに、登場する社寺はその地方によって違うところもあるらしい。
この歌詞は俺のねぇちゃんたちが歌ってた歌詞だけど・・。
1 一番初めは一之宮
2 二は日光中禅寺・・・・中禅寺湖のほとりにその名のお寺はあるが、歌詞しは東照宮か
3 三は佐倉の惣五郎
4 四また信濃の善光寺
5 五つは出雲の大社(おおやしろ)
6 六つは村々鎮守様
7 七つは成田の不動様
8 八つ八幡の八幡宮
9 九つ高野の弘法さん
10 十は東京心願寺・・・・・本願寺か
この後は小説の話に続くわけだが省略
この風景が目に浮かぶ
この歌詞の中の一の宮の意味はその地方の一番社格の高い神社のことを意味しているようだ。
だから、中京地区の人は真清田神社(ますみだじんじゃ=尾張一の宮)を心に浮かべると思う。
俺の場合は、ねぇちゃんに「一の宮ってどこにあるん?」と聞いたら、南の方を指さして
「丹生のずぅっとむ行の方にある神社だ」と教えっくれたっけ。
(丹生には叔母さんちがあり、いとこもいたので知っていた)
上野一之宮・貫前神社
(566)・・1500年の歴史・貫前神社・・
世界遺産・富岡製糸場に近い上信電鉄上州富岡駅から、下仁田に向かって三つ目の駅、一宮駅から徒歩15分ほどのところに、一之宮・貫前神社がある。
その歴史は1500年に及び、上野一の神社(上野の国一番の神社)として崇められてきた。
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)は、群馬県富岡市一ノ宮にある神社。式内社(名神大社)、上野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
貫前神社 配置図
この神社の境内は正面参道からいったん石段を登り、総門をっくぐったところから石段を下ると社殿があるという、いわゆる「下り宮」と呼ばれる配置となっている。
桜門、拝殿、本殿等が重要文化財に指定されている。
近年リニューアルされて極彩色の漆塗りできらびやかな社殿である。
一番奥まった本殿は外からはわからないが 単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである。また、内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられ、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている。
手前が拝殿、奥が本殿
祭神は以下の2柱。
経津主神 (ふつぬしのかみ)
葦原中国(日本)平定に功績があったとされる神。当社では物部氏の祖神と紹介している。
姫大神 (ひめおおかみ)
祭神の名前は不詳。一説には、綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神とされる。
難しいことはわからないが、祭神は女神さまのようだ。
その印として本殿の屋根の突き出ている「千木=ちぎ」と言われる飾りの先端は、内削ぎになっている。
千木はこんな形になっている
男性の神様が祭られている場合は外削ぎの形に、女神さまの場合は内削ぎに作られている。
また本殿の妻の部分には、雷神様がいつでも本殿に出入りできるようにと言う意味で「雷神小窓」が付けられている。雷神様も同社殿に合祀されている。
拡大すると
先日NHKのテレビでやっていたけど出雲大社のそれはとんがりが上を向いている外削ぎ。大国主命は男性だから。
そして、この神社は「貫前神社」だがここから北北東に5kmほどのところには「咲前神社=さきさきじんじゃ」がある。ここは貫前神社の前宮で、二つのお社は深いつながりのある神社のようだ。
因みにこの咲前神社は群馬男の母の実家の近くで、私らも子供のころは咲前神社なんて呼ばずに、「鷺ノ宮さま」と呼んでいた。
この辺りの地名が鷺ノ宮なのだ。
鷺宮・咲前神社本殿
他国者
群馬男は詳しいですね
「鷺ノ宮さま」はどのような関係?
群馬男
貫前神社と鷺ノ宮さまとの関係は、俺が説明するべぇ。
ウィキペディアにはこんな記述がある。
貫前神社の創建
社伝によると、貫前神社の創建は安閑天皇元年(531年?)3月15日、鷺宮(現 安中市の咲前神社に比定)に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、荒船山に発する鏑川の流域で鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まりといわれる。
なお比定ということは、確たる証拠になるものはないが、周囲の条件を比較するとこれが正しいと思われるという意味。
だから、貫前神社は最初は今の咲前神社の位置に創建されたと思われるという関係です。1500年近くも前の話です。
(この記事のきっかけは、俺の甥っ子が「貫前神社と咲前神社」のことを教えてくれたことでした)。
子供のころ俺のねぇちゃんたちが、こんな歌を歌いながらまりつきをしていたんを思い出す。
俺はまりつきに参加はしなかったんだけど歌だけは覚えている。
題名はたぶん「一番初めは一之宮」っていうんだと思う。
それに、登場する社寺はその地方によって違うところもあるらしい。
この歌詞は俺のねぇちゃんたちが歌ってた歌詞だけど・・。
1 一番初めは一之宮
2 二は日光中禅寺・・・・中禅寺湖のほとりにその名のお寺はあるが、歌詞しは東照宮か
3 三は佐倉の惣五郎
4 四また信濃の善光寺
5 五つは出雲の大社(おおやしろ)
6 六つは村々鎮守様
7 七つは成田の不動様
8 八つ八幡の八幡宮
9 九つ高野の弘法さん
10 十は東京心願寺・・・・・本願寺か
この後は小説の話に続くわけだが省略
この風景が目に浮かぶ
この歌詞の中の一の宮の意味はその地方の一番社格の高い神社のことを意味しているようだ。
だから、中京地区の人は真清田神社(ますみだじんじゃ=尾張一の宮)を心に浮かべると思う。
俺の場合は、ねぇちゃんに「一の宮ってどこにあるん?」と聞いたら、南の方を指さして
「丹生のずぅっとむ行の方にある神社だ」と教えっくれたっけ。
(丹生には叔母さんちがあり、いとこもいたので知っていた)
by gunmaotoko
| 2016-03-11 20:05
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