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群馬出身の望郷男と、群馬県のこと知らない他国者が、勝手に書き込んでいるブログです
2013年 05月 05日

養蚕県 群馬県

(67) お蚕の季節 最大の養蚕県だった 群馬県

少々記事が長くなりましたが、群馬男のお蚕に関するうんちくです。蚕の一生と、養蚕農家の様子を書いています。
私は蚕糸高等学校に行かなかったので、詳しいことは知りませんが、でも、この程度のことは養蚕農家の倅の常識として書くことができました。


群馬県は最大の養蚕県だった、その証拠に、群馬県安中市には養蚕を専門に教える県立の蚕糸高等学校が
あったし、前橋市には、前橋乾繭取引所と言う日本で唯一の繭の取引所があったことでもわかる。

そして私はと言えば、おきりこみに育てられて、お蚕に学校に行かせてもらったようなものだ。

私の実家は明治の初めに建てられた養蚕農家独特の造りの家だった。

京間42坪総二階で屋根の上には、今でいうベンチレーター用の小さな屋根が二つ付いていた。養蚕農家独特の作りだ。今はもうない。
養蚕県 群馬県_a0290852_1743228.jpg

(ここで薀蓄・・京間とは一間が6尺5寸を基準として設計された建築方式のことで普通よりも広い。)

養蚕準備

毎年四月最後の休日を利用して、一家総出で家の大掃除を行った。
暮れの大掃除には二階はあまり手を付けないが、この時期の大掃除は二階を念入りに行った。
蚕に使う道具はきれいに埃を払って、場合によっては家の前を流れる川で水洗いした。

そして何日かのちに、二階の一角に8畳ほどの紙で目張りした部屋を作った。
蚕室である。
おがくずをいぶして、部屋の保温と殺菌をした。

掃き立て

蚕の卵はB5ほどの浅い木枠の箱に入ってくる。その時の卵の重量で、掃きたてる(飼う)量が決まる。
10g単位のようだった。
蚕室の中で蚕座紙と言う無菌の紙の上に羽帚で掃き落とす。これを掃き立てという。
今ではこの小さな蚕に与える人口飼料が開発されているようだが、当時は、芽が出たばっかりの柔らかい葉っぱを刻んで与えていた。
このころの蚕を第一齢と言う。
養蚕県 群馬県_a0290852_17182456.jpg


脱皮

蚕は脱皮しながら大きくなる。
掃きたてて刻んだ桑を食べていた毛虫のような2mm位の蚕は、掃きたてから10時間もすると桑を食べなくなって、動かなくなる。
脱皮の準備に入ったのだ。
そして脱皮が終わると、第二齢になるがまだ毛が少し残る小さな虫だ。
食べる桑の量も少ない。
2~3日すると、またじっと動かなくなる、また脱皮の準備だ。
このころはまだこんな飼い方で間に合う
養蚕県 群馬県_a0290852_17344012.jpg


 第五齢

こうして脱皮の度に一時動きが止まり、桑を食べなくなる。
そして最後、4回目の脱皮のころには虫も大きくなり驚くほどの量の桑を食べるようになる。
養蚕県 群馬県_a0290852_17351746.jpg


この4回目の脱皮の為に蚕が動かなくなるとその間は、桑を切ってこなくても済む。
この時を「お蚕休み」と言って、家じゅうでごちそうを作って一休みする。これからの激戦が待っているのだ。
この最後の脱皮が終わると、蚕の食欲は最高潮に達する。桑を与えて近くにいると、蚕が桑を食べる音がざわざわとうるさいほどに聞こえて、見る間に桑がなくなる。
この数日間を「大桑」といった。猫の手も借りたいときだ
さっき蚕が見えないほど桑を上げたのに、もう蚕が丸見えになってしまうほどだ。
養蚕県 群馬県_a0290852_17315232.jpg


 桑の補給

一回にはき立てる量(飼う蚕の量)は自分の耕作する桑畑(桑原)を考えて、大桑の時にも足りる量をはき立てる(飼う)・・・・・が。
桑は、その年の天候によって成長の仕方が違う。
予想外に成長が良くて桑が残ることがあるがそれは問題ない。が、予想外にお天気が悪かったり、気温が低かったりで、桑の成長が遅い年がある。蚕はそんなことお構いなしに一生懸命食べる。
困ったことに、蚕には、桑が足りないからと言って、ほかの木の葉や、畑の菜っ葉を上げても食わない。桑でなくてはだめなのだ。

見渡す限りの桑原だが、もうほとんどの畑の、桑の木は丸坊主になっている、どこかにまだ緑色の桑原があると隣の村だろうと、その持ち主を探して、その桑を分けていただくようにお願いして回る。

こんな時は私の母親なんかも必死で、子供が「はらへったぁ」なんて言っても、「そこいらにあるイモでも食ってろ!」と言って人が変わったようになる。
それで桑が調達できればいいが・・・・・・・・。

 ずう

第五齢の(4回脱皮した)蚕は数日腹いっぱい桑を食べると、次第の動きが鈍くなり桑をたべなくなる、そして緑っぽい白の虫体は次第にクリーム色の透明感が出てくる。
専門用語ではなんというか知らないが、私の地方では、これを「ずう」と呼んだ。
養蚕県 群馬県_a0290852_1736498.jpg

無数の蚕の中から、そんな色になって動かなくなったずうを拾い上げて、「簇」(まぶし=蚕が繭を作るための道具)に入れてやる、この作業を蚕を「上げる」といった。
当時は最新式だった、回転簇
養蚕県 群馬県_a0290852_1738699.jpg

この作業の最盛期を「大上げ」といい、最後の大忙しだ。

簇に入った蚕は一生懸命繭を作るということになるのだが・・・・いよいよどうしても桑が足りないとなると、母は「おこさま(蚕のことを母はこう呼んだ)にゃぁ申し訳ねぇけど、しょうがねぇ、勘弁してもらうべぇ」と涙を流さんばかりに、まだ桑を食いたそうな蚕をそっと蔟に入れたのだった」。
おそらくそのときの母の気持ちは、「腹を空かしたわが子に弁当も持たせずに旅に出すような気持」だったことと思う。

 繭かき

簇の中で蚕が数日間かけて作った繭は、白い光沢のある美しいものだった。
中で蚕はすでに蛹(さなぎ)になっている。それを簇からとりだす作業を、「繭かき」と呼ぶ。
それはこれまでの戦争状態の苦労が報いられるときでもあった。
簇から取り出した繭は機械で外側のけばけばを取ってきれいな光沢のある真っ白な繭になる。
養蚕県 群馬県_a0290852_17403460.png


こうしてとれた繭は、早く業者に売り渡さないと、中の蛹が羽化するために自分の体から、絹のたんぱく質を溶かす成分を出して穴をあけてしまう、こうなると商品価値はなくなってしまうのだ。

時間との闘い


ここに書いたこの忙しい工程をおよそ一か月の間に行うのである。蚕は待ってくれない。

ここに書いたのは5月に掃き立てて、6月初めに繭が取れる「春蚕=はるご」だが、桑さえ間に合えば、初秋蚕、中秋蚕、晩秋蚕、晩晩秋蚕とやることもある。

そのころ、実家の兄貴は冬になるとよく言っていた。
「おらぁ冬はきれぇだ、蚕が飼えねぇから暇すぎてやだ」。
この養蚕の主導者は兄貴(長男)だったことは言うまでもない。

     ・・・・・・・・・・・・・・

他国者

実は他国者 生きた蚕を見たことがない!
だから・・・・何も書けない。正直まったく未知の世界の養蚕
へ~~ これは?????すべてが????
今回のページはお勉強させていただくだけ~~~~
見たことも聞いたこともないことを書くのは難しい!
教えてください。
養蚕県 群馬県_a0290852_2318126.jpg
群馬男

他国者君の質問と群馬男の答えをまとめると・・・・・。

・蚕はオスとメスがいる 初めて知りました。

養蚕県 群馬県_a0290852_21581418.jpg・オスとメスの見分け方は蚕の時はよくわかりません、蛹が繭を食い破って蛾になって出てくるとわかります。
ちなみに、そのオスの不妊症に関する研究を俺の兄貴(次男=故人)は大学でやっていたようです


・蚕は冬はどうしているんだろう?

これは詳しく聞いたわけではありませんが、卵の状態で温度を下げて冬を越すのだと思います。これを専門にやる会社がありました。
農家はそこから孵化寸前の卵を10g単位で買いました。


・養蚕農家は蚕の成長段階のどこまで育てる?

蚕の卵が孵化する寸前の状態で、専門業者から買って、掃き立てて、最後の繭の中で蛹になったところまで   全段階の全工程をやりました。
 
・あまりにも低レベルの質問 卵はどのように手に入れる?

専門の業者からB5くらいの木枠に細かい網を張った状態の容器に
10gの卵が入ったのを買います。


蚕はウンコはするの?そうなら掃除をするのだろうか?

本文にそのことも書こうかと思ったのですが長くなるのでやめましたが。
蚕は桑を与えるだけでよいわけではありません。 蚕は桑の葉の葉脈は食べませんし、枝付の桑を与えることもあります。
残した葉脈や枝の間にフンもします。
ある程度たまったら、蚕の上にテニスコートのネットくらいの目の大きさのネットを、さっとかぶせて、その上に桑を載せます。
蚕は桑を食うためにその網をくぐって上がってきます。
そしたら、両側から網を持って移動すれば蚕をフンや食い残しのないところへ移動できます。
残ったフンや桑の葉の食べ残しは全部肥料としてリサイクルです。


他国者君がわかりやすい図解を探してくれた。
養蚕県 群馬県_a0290852_22122715.jpg







掃き立て


ここで脱皮する。








ズウ(熟蚕)


群馬県は全国の繭生産で約4割を占めるが、安価な輸入製品の流入や農家の高齢化などで養蚕業は衰退。
県蚕糸園芸課によると、最盛期の昭和33年に8万4千戸以上あった養蚕農家は約220戸に激減しているという。
江戸時代から、生糸の原料となる繭をつくるカイコの品種改良が進んだ。
糸の太さや繭の大きさなど、さまざまな特徴を持つカイコを保存し、交配を重ねて品種を開発。
国内に蓄積した種の多様性や遺伝研究は世界最高水準であることはまちがいない。

他国者おまけ

養蚕県 群馬県_a0290852_2384956.jpg群馬スイーツ(?)

「かいこの王国」の
『おこさま』チョコ

蚕の下の桑の葉の形をしたチョコレートには、桑の葉パウダーが使われている。
見た目はインパクトがあります。



「おこさま」とはお子様用のチョコではなく 蚕のことを「おかいこさま」のことを「おこさま」と言う。
へ~
私はお子様用のチョコレートだと思った。
やっぱり私は他国者でした。
by gunmaotoko | 2013-05-05 05:05 | Comments(6)
Commented by 栢野厚子 at 2015-07-25 21:00 x
はじめまして♪
私は、今、9月13日に群馬県高崎市の箕郷文化会館で発表される「蚕影様物語」の稽古をしています。
養蚕の事も知らず…疑問に思った事を調べさせて頂きました♪
ずう拾いの意味、理解出来ました!!
有り難うございました~(^.^)
Commented by gunmaotoko at 2015-07-25 22:19
栢野厚子さま
コメント有難うございます。
このような粗末なブログがお役に立てれば、これに勝る喜びはございません。有難うございます。
私、磯部で生まれて、只今は静岡市に住んでおります。近くならば9月にお邪魔して拝見したいところですが、残念です、
これを御縁に今後もよろしくお願い申し上げます。
大変失礼ですが、栢野様はなんとお読みするのでしょうか。
Commented at 2015-08-07 13:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gunmaotoko at 2015-08-07 18:28
萩原良子さま
コメント有難うございます。
失礼どころかとても嬉しいコメントを頂きました。
このブログが何かのお役に立ったのすればこの上ない喜びです。
実家は養蚕農家でしたが、私は商業高校に行きましたので、養蚕の勉強は何もしておりません、でもお蚕の時季になると、毎日が実習のようなもので知らずにいろいろと覚えさせられていました。
実家では、私の兄の代まで養蚕をやっていましたが、今はやっていません。
弟は蚕糸高校の出身で、先日「俺は養蚕教師の資格を持っているんだぞ」なんて言っていましたが、今は東京で別の商売をしています。
私が実家にいたころもネズミや、蟻は蚕の大敵でしたが、蚕が羊羹を食べているとは知りませんでした。
時代が違うとはいえ驚きでしたね。
何か気が付かれましたらお気軽にコメントを下さい。
私は磯部の出身です。
Commented by 照井 睦 at 2019-11-24 19:07 x
私の祖父は安中蚕糸学校を昭和7年に卒業しています。そして池田町で蚕種製造業を営み、ほどなく戦争にとられ、昭和13年に戦死しました。
その仕事を紐解いてみたく、貴殿のブログに巡り会いました。とても勉強になります!ありがとうございました。
Commented by 照井 睦 at 2019-11-24 19:07 x
私の祖父は安中蚕糸学校を昭和7年に卒業しています。そして池田町で蚕種製造業を営み、ほどなく戦争にとられ、昭和13年に戦死しました。
その仕事を紐解いてみたく、貴殿のブログに巡り会いました。とても勉強になります!ありがとうございました。
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群馬で生まれ群馬で育った男のブログ 今は故郷を離れ遠くの町から  こよなく群馬を愛する男と、群馬を全く知らないひととのブログです。


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